学院概説

設立趣旨

『古人曰く、一年の計は穀を植うるにあり、十年の計は樹を植うるにあり、百年の計は人を植うるにありと。天下の英才を教育して、各其の天稟を發揮せしめ、光彩陸離百花爛漫の偉観を現出するは、啻に国家百年の大計たるのみならず、人生の快事之れより大なるは無かる可し云々。』


教育方針

気品高く教養豊かな有為の人材の育成


学校生活

 十分に配慮された教育課程のもと中高六年間の一貫教育を通して、将来のより高度な学びに必要な学力と体力を練磨しています。また、品性を陶冶し、すぐれた人格形成をなすために、情操教育を重視し、規律の励行や礼儀作法が体得できるように努めています。中学校と高等学校を少し離れた場所に設置し、それぞれ生徒の発達段階にふさわしい環境を整えています。中学校では基礎的な学力や体力の養成と基本的な生活習慣の確立、高等学校では将来の自己実現のために必要な自主性と創造性の伸長を重視しています。生徒は、「明朗・潑溂・無邪気」の校風のもと、中・高それぞれ学校行事やクラブ活動の自主的な運営も行っています。その中で協調性や社会性を養い、各自の個性を磨き、教養を高めようと励んでいます。


学院沿革

 本学院は、1920(大正9)年3月、故辰馬吉左衛門氏によって創設された「財団法人辰馬学院甲陽中学校」に始まりますが、その淵源は更に1917(大正6)年2月、甲子園に設立された故伊賀駒吉郎氏の「私立甲陽中学」にまで遡ることができます。戦後の学制改革によっていわゆる六三三制が実施され、甲子園の旧制中学校が高等学校となり、香櫨園に新しく中学校を創設し、その後、「財団法人辰馬学院」を「学校法人辰馬育英会」と改称しました。後年、甲子園の地が騒音公害などで環境が次第に悪化したため、高等学校のみを西宮市苦楽園地区の角石町に新築し、1978(昭和53)年4月に移転しました。また、中学校も1993(平成5)年8月に従来の校舎の東側に校舎を新築し、旧校舎の地には、講堂、体育館、芸術棟、食堂などを配置しています。